6月13日に思うこと

本日は2016年6月13日ですが、
ちょうど7年前の2009年6月13日に、
プロレスラーの三沢光晴さんが亡くなりました。

リング上の事故ということでした。

 

私の故郷である、
広島の会場で起きた事故でしたが、
広島に住んでいる母親から
報告のメールが来たのを覚えています。

 

私は子どもの頃から熱狂的なプロレスファンで、
とくに三沢光晴さんが一番好きなレスラーでしたので、
この報告を受けたときは、
何とも言えない思いでした。

ただ不思議と、
ショックとか、びっくりした、
といったような気持ちではなく、
「そうなのか~」
という冷静な気持ちだったように記憶しています。

 

おそらく、
危険なプロレスが繰り広げられている状況から、
このようなことが起きても不思議ではない、
という感覚を普段から感じていたから
ではないかと思います。

プロレスは最強?

周りの人からは、
「プロレスファンだったのは意外」
とよく言われます。

私の外見や性格からは意外のようです。

 

ただ、子どもの頃から、
本当にプロレスが大好きでした。

毎週ビデオに欠かさず録画して、
好きな試合は、
何回も何回も再生して見ていました。

 

ただ、ここ最近は
めっきりプロレスを見る機会は無くなりました。

大きな理由は、
三沢光晴さんが亡くなったことです。

なぜかというと、それ以来、
「現実の世界を直視せざるを得なくなったから」
です。

 

子どもの頃は、
友達から、よく
「プロレスは八百長だ!」
と言われる度に、
いろいろと反論をしてきました。

最近ではインターネットが普及し、
情報化社会のなかで、
プロレス界の実態を知ることができるようになりました。

「八百長」の定義にもよりますが、
プロレス界の実態を知ることができるようになった現在、
ある意味では、友達が言っていたことも
1つの真実と言えるかもしれません。

 

ただ、個人的には、
プロレスというジャンルは、
そのような低次元で議論されるものではなく、
いろいろな野次を超えた
高次元の領域にあるとても特異な存在だと思っています。

そこに存在する
幻想や妄想や夢といったものが、
多くの人の人生に影響を与えてくれる
稀有な存在だと思っています。

 

その意味で、個人的には、
「プロレス=最強」
という思いは持ち続けてきました。
(「最強」の定義は各自によると思いますが・・・)

 

ただ、そのような思いが、
三沢光晴さんの事故で、
プロレスは「死」と隣接する世界であることも
実感・直視せざるを得なくなり、
プロレスを純粋に楽しめなくなっている自分がいます。

プロレスは今でも好きなのですが、
プロレスを見ていると、いくつかのポイントで、
どうしても「死(=危険)」を
意識してしまうようになったのです。

 

どれだけ危険な技が繰り広げられても、
人間の「死」とは無縁な存在であったからこそ、
昔は夢や幻想、といったものを抱くことができていたのだと
改めて感じるようになりました。

エスカレートする顧客の欲求

人間の欲求は
エスカレートしていくものです。

そのようなファンの期待に応え、超えていくことで、
ファンの心をつかんでいったのが、
三沢光晴さんが所属していた「全日本プロレス」
ご自身が立ち上げられた「プロレスリング・ノア」です。

 

ただ、その流れは、
年々危険なプロレス技を増やす傾向へと
つながっていきました。

三沢光晴さんや小橋建太さんのプロレスは、
当時、「四天王プロレス」と呼ばれ、
ライバル団体である「新日本プロレス」とも
差別化された世界観がそこには存在しました。

 

プロレスファンの私は、当然、
新日本プロレスも全日本プロレスも
同じくらい見てはいましたが、
どちらが好きかというと「全日派」でした。

ファンの期待に応え、超えていく
三沢光晴さんや小橋建太さんらの姿に
興味、幻想、強さ、感動、
といったものを感じたのだと思います。

 

怪我をすることはあっても、
よほどのことが無い限りは、
毎試合出場をして頑張っている姿。

これが当たり前の光景でしたし、
それが続いている限りにおいては、
私のなかでは「正義」でした。

 

それが、
三沢光晴さんの事故以降、
私のなかでの「当たり前」が崩れ去りました。

 

プロレスラーはプロである以上、
顧客であるファンの期待に応え、
それを超えていく姿勢・努力は、
重要なことではあります。

ビジネスの世界では、
これは当たり前のことであり、
重要な姿勢・努力と言えるでしょう。

 

但し、そのような姿勢・努力も、
永続的に続くもので無ければ、
顧客を幸せにし続けるのは難しいと言えます。

やはり、
続いてこその「良いサービス」なのだと思います。

 

そう考えると、
三沢光晴さん達のプロレスと、
三沢光晴さんの事故死は、
自らの団体に限らず、プロレス界全体に、
良い意味でも、悪い意味でも、
大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 

顧客側は、
どのような素晴らしいサービスも、
いったん慣れてしまうと、
その要望はエスクレートしていくものです。

そのような顧客の要望・期待は
サービスの質を向上させることも当然ありますが、
一方で、サービス提供者側こそ、
サービスを続けて行くために必要な姿勢・努力なのか、
それともサービスを崩壊に向かわせてしまう姿勢・努力なのか、
見極める判断が必要なように思います。

最後に

プロレスのことになると、
いろいろ書きたいことはありますが、
これ以上書くと何のブログがわからなくなってしまいますので、
最後に「プロレス技」について
書いて終わらせていただきたいと思います。

テーマは、
「最強の(=一番好きな)プロレス技は何か?」
についてです。

 

そのときどきで自分の中でも
マイブームのプロレス技はありましたが、
今では「この技」がベストだと思っています。

 

それは、
「ラリアット」
です。

プロレスに興味が無いと、
わかりづらいかもしれませんが、
結構原始的な技の1つです。

 

昔は、パワーボム系の技や、
ムーサルト・プレスのような飛び技も好きでしたが、
この年齢になり、プロレスについて
いろいろ考えるようになった今は、
この「ラリアット」がベストだと思っています。

それも、
痛め技・つなぎ技としての「ラリアット」ではなく、
フィニッシュ技としての「ラリアット」です。

 

ちなみに、「技」といっても、
選手と能力・個性と不可分なものですので、
誰の「ラリアット」でもよいわけではありません。

私が最強と考える「ラリアット」の
具体例を挙げるとすると、

———————————
・スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアット
・小橋建太の剛腕ラリアット
・ハルク・ホーガンのアックス・ボンバー(⇒広い意味で「ラリアット」に含めます)
———————————

です。

 

なぜこれらの選手の「ラリアット」が最強技かというと、

———————————
・それほど悲壮感が無い上にインパクトがある
・技を繰り出すまでに時間がかからない
人間の自然の動きの中で出せる技である
・この技がでれば「終わり」という一撃必殺レベルまでブランディングされている
———————————

といった理由です。

 

やはり、飛び技や
頭をダイレクトに叩きつけるような技は、
どうしても「死」をイメージさせてしまい、
今の私では「危険」の方を意識せざるを得ません。

一方で、
「ラリアット」はそのような部分が
極力排除されているように感じますので、
今の時代のプロレスにおいては「最強技」と
考えさせていただきました。

 

奇抜なことをしなくても、
基礎的な技を磨き続けブランディングしていくことが
遠回りのようで一番の永続の道なのではないか、
と思う次第です。

この考え方は、
ビジネスでも同様なことが言えるよう気もしています。

 

反論やご意見があるファンの方も多いかと思いますが、
プロレスは、ファン同士が、
このような幻想・妄想のもと持論を展開し合うところに、
本当の醍醐味があるような気がしています。

★★★★★★★
顧客の期待を
きちんとコントロールできていますか?
★★★★★★★