不安と疑問

今春、
長女が幼稚園に入園しました。

とても小さな幼稚園です。

 

早期教育が意識される今の時代とは
少し逆行するような、
自然との調和を大事にする教育方針の幼稚園です。

今の時代は、小さなうちから英語教育や
習い事が広がっていると聞きます。
このような時代と真逆を行くような教育方針に、
入園はしたものの、
親としてはとても不安を感じました。

 

そして、
入園してみてわかってきたことがあります。

年少さん、年中さん、年長さん、
あわせても10人しかいません。

幼稚園の財政状態も厳しいなか、
続けているとのことです。

 

先生1人。
あとはサポートのスタッフが2~3名。

スタッフの方々は、
どうやら無償で働かれているようです。
というより、自腹の交通費と
長い通勤時間をかけて、
幼稚園サポートに通っているとのこと。

 

幼稚園の財務諸表も共有されたため、
私も一応確認をしてみると、
確かに、これでは人件費どころではない様子。

通常、幼稚園や保育園は、
国や地方の制度による補助金があって
成り立っていることが多いものですが、
この幼稚園の場合、補助金はありません。

そうなると、
確かに財政上はきついでしょう。

 

また、入園する側にとっても、
市区町村から金銭的補助がない幼稚園になり、
金銭的な負担が他の園と比べると高いため、
入園者も増えない、という状況のようです。
(私自身、金銭的な負担も考えると、入園に少し躊躇したのは事実です。)

 

それでも10年以上
運営を続けられているとのことですが、
おそらく関与されている方々の「ボランティア精神」で
成り立っているのは間違いなさそうです。

 

ただ、ある「疑問」が湧いてくるようになりました。

 

なぜ、皆、このようなボランティア精神で
続けられているのだろうか

一時的なボランティアであれば、
まだ理解ができるのですが、
何年もボランティア精神だけで、
幼稚園活動を続けられるものなのだろうか?

父と語ろう会

先週の土曜日に、その幼稚園で、
年に一度の「父と語ろう会」が開催されました。

普段、幼稚園とは縁が少ない園児の父親が、
子供と一緒に幼稚園に来て、
木工のおもちゃを作る、という会です。

 

私もせっかくの機会なので参加して、
幼稚園の雰囲気を感じたり、
上記の疑問(ボランティアが成立する合理的な理由)を
尋ねてみたいなと思い、
長女と一緒に参加することにしました。

 

参加されていた父子は、
私たちを含め5組でした。

父親が簡単な木工のおもちゃを作っている間、
子どもたちはそれぞれ園の中で遊び回っていました。

 

ちなみに、こんな木工が出来上がりました。

kousaku

簡単なおもちゃですが…。

 

ボランティアとは?

ボランティアと言ってよいかわかりませんが、
私も本業以外に、
2つのコミュニティの運営や事務をやっています。

自分の意思で作ったコミュニティと、
気づいたら事務局の役割を担うようになったコミュニティ。

 

いずれにしても、
なんとか、会員・メンバーの方々にとって、
有益な場の提供ができれば、という思いで
自分の時間を削ったり、自腹を切って、
運営・事務をしています。

運営や事務の対価として、
とくに収入をもらえるわけではないため、
ボランティアに近い活動です。

 

ただ、これが純粋な「ボランティア」活動と言ってよいかは、
私自身も何とも言えません。

自分で事業をやっていると、
多くの人と知り合い、ネットワークを築くことは、
とても重要なことですし、
また、事務局の立場で陰で支える役割を担うことは、
自身のビジネススキルを養ううえでも、
間接的には役に立っていると思っています。

 

結局、ボランティアのようでいて、
自分の利害と一致している側面もあるため、
この事務・運営の役割を続けられているのではないか、
と私自身は感じています。

このような純粋なボランティアとは言い難い
コミュニティの運営や事務といった仕事ではありますが、
長く続けていると、参加者の方々からは、
感謝をされる機会がたまにあり、
そのようなときには、やりがいを感じられるものです。

合理的であってほしい思い

このようなコミュニティの事務・運営をしていると、
多くの方から、何度も受ける質問があることに気づきます。

「なんで、事務局をやっているの?」
「時間もとられて大変でしょう?」
「何かメリットがあるの?」

 

純粋に疑問を持たれて質問をされる方。

誰もやりたがらない仕事を任せていることに対する
「申し訳ない」という思いから、
「何かメリットがあってほしい」
「何かメリットがあるはず」
と思いながら質問をされる方。

 

私としては、
「なんで、同じような質問ばかり、皆するのだろうか?」
と、いつも感じつつ、
質問者が納得するような形で、
「何らかの形で自分のビジネスにも役立ちますので・・・」
といった適度な回答をしたりしています。

直接的で、合理的な回答は、
結構難しいものです。

おそらく、人間は、「疑問」に対しては、
どうしても「合理的な理由」で解決しなければ気持ちが悪い、
ということなのでしょうか。

 

ただ、ふと自分のことを振り返ると、
私自身、上記の質問者と同じ疑問を
幼稚園に対して抱いていることに気づきました。

「なぜ、この幼稚園では、
 皆、このようなボランティア精神で
 続けられているのだろうか?」

「何年もボランティア精神だけで、
 幼稚園活動を続けられるものなのだろうか?」

 

この疑問については、自分のこれまでの常識では
おそらく「合理的な理由」が導き出せないため、
これはもう、直接聞いてみるしかありません。

先週の土曜日の会に参加したときに、
先生に、この質問をしてみよう、
と思うようになりました。

「自分の中の合理性」を超えるもの

「父と語ろう会」も中盤に差し掛かり、
木工が終了した後は、
子どもたちと一緒に簡単な歌を歌い、
人形劇を見ました。

そして最後は、先生から、
幼稚園での子供たちの様子について説明があったり、
幼稚園の教育・運営方針等も語られました。

 

父親から先生への質問タイムもありました。

普段見たり聞いたりできない
子どもたちの幼稚園での様子がわかり、
とても良い機会となりました。

 

また、先生からは、
「うちの園は、お金はないけど、
 子どもたちへの教育への思いは、
 どこの園にも負けていない」
といった強い思いも語られていて、
その思い(プライド)がとても伝わってきました。

 

だいたい3時間弱。
普段のビジネス現場とは異なる空間を
体験することができ、
何とも言えない感覚でした。

 

先生は、最後に、
こんなこともおっしゃっていました。

「うちの園は、お金が無いから、
 いろいろなものを修理しながら使っているんです。
 このテーブルも足がぐらぐらして・・・。
 これまでもお父さんたちが来て直したり手伝ってくれました。
 是非これからも、お父さんたちの力もお借りできれば、
 と思っていますので、
 よろしくお願いいたします。」

 

どうしても「支援≒お金」という側面が
クローズアップされやすいものですが、
なんだか、この先生のお話に、
ほのぼのとしたものを感じました。

私自身、テーブル修理のような
木工作業は得意ではありませんが、
「自分にできることがあれば支援をしたい」
と自然と思えるようになりました。

 

結局、私が当初用意していた「質問」を
先生に投げかけることはありませんでした。
わざわざ「愚問」をする必要はありませんでした。

その日、その場で体験し、
感じたことがすべてだと感じました。

 

まさに「百聞は一見(一体験)にしかず」です。

 

なぜ、財政的に余裕が無いなかで、
何年もこの幼稚園が頑張ってこられているのか、
分かった気がします。

続けたい。
続いてほしい。
無くなっては困る。
自分も何か手伝いたい。

いろいろな「思い」のもと、
成り立っている現場がそこにはありました。

★★★★★★★
無くなっては困る存在に
なれていますか?
★★★★★★★